ライブチャットはソフトの商売です

こんばんは。

Kです。

 

最近、メルマガの希望者からくるメールで、登録理由がほとんど書かれていないに等しいものがよく届きます。

登録できたらラッキーくらいに思っている人の登録は軒並みシャットアウトしていますので、本当に読みたいと思っている場合は、本気で書いてきてください。

本気で書いてくる人のことは拒否したりしません。

 

それから、チャットモデルのエントリー希望も来ていますが、まだ回答を返していない人もいます。

こちらは無視したり拒否したりしているわけではなく、単純に追いついていないだけなので、もうしばらく待ってくださいね。

 

新しいチャットとして考えていることについて、続々と予想が来ています。

結構鋭いところまで切り込んでくる人もいて驚きました。

その調査能力に脱帽します(^^)

 

いいですよね。この研究意欲。あれを使ってみたい、これを使ってみたいと思えることが大事です。

今回導入した機材の一つは、市場的にも久しぶりに出た新製品らしく、僕はそれを偶然キャッチしました。

すでにレビューや比較記事もたくさん出ているようですが、ここで評価するのはもうしばらく時間が経ってからにしようと思います。

 

単なるインプレッションじゃ良し悪しは分からないんですよね。

 

来週前半にも新兵器が届きます。

これが僕の考えている真打ちです。ライブチャットに何が求められているかを考えると、その延長線上にあるものではあります。

 

こうやって色々新しいことの話をしていますが、ライブチャットというのは本来はソフトです。

ハード、ソフトのソフトですね。

この感覚は分からないようなら、ぜひこのタイミングで理解してください。

 

ハードというのは、目に見えるもの。機械や箱(建物)、設備、商品です。

ソフトというのは、その中で動く人間のコンテンツでありサービスです。

 

これは、本当に大事な話なので、可能な限り今ここで理解してください。

ライブチャットは、ソフトのビジネスです。ハードではありません。

 

世の中の大半の売れている商品はソフトです。

 

ディズニーランドは、あの場所や設備があるから人が来ているのではありません。アトラクションも付加価値の一つでしかありません。

そこで体験できること、時間やイベント、遊びや食事が総合的なソフトとして提供されているから何回も行きたくなるんですよね。

 

AppleのMacやiPhoneは、あれを機械として売っているように見えて本当はそうじゃありません。

手にとって所有体験として心地いいというのは確かにあるでしょうが、買う人が本当に欲しいのは、iPhoneでできることです。

iPhoneの本体を機械として購入して悦に入るような人は一部のマニア以外ではほとんどいません。

 

Appleは、iPhoneを商品として売っているのではなくプラットフォームとして売っています。何のプラットフォームですか?

裏側のコンテンツですよね。

コンテンツ商売なんです。

 

ライブチャットは、コンテンツ商売です。

何の機材を使っているとか、どんな絵が出せるとか、実は本質から考えるとどうでもいい要素なんです。

 

ライブチャットがハード面の勝負ではないというの意味が本当に分かっているのは、ごく一握りです。

ハード面に該当するものは、機材や画質だけではありません。

 

いわゆる女性のスペックもハードです。

若い、美人、肌が白い、細い、声がきれい、色々ありますよね。

そういう表面的な要素はすべてハード面の要素です。

 

ライブチャットは、ソフトの商売です。

分かりますか?

ソフトの商売だということは、これらの要素は実は本質ではないということです。

 

チャットでどんな体験をさせるか。どんな面白い話を展開できるか。

どのくらい楽しい時間を与えられるか。

それに対する工夫が、ソフトなんです。

 

 

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コメント

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  • コメント (5)
    • あいこ
    • 2017年 5月 21日

    ハードを充実させてソフトが空っぽだと、お粗末になりますね。人付き合いも同じで、ソフトがない人はつまらないっておもわれてしまうんだろうな。ソフトがないことがバレるのを恐れる余り、相手との深い付き合いを避けたり。あるいはそれを補おうとハードをやたら派手にしたり(それは検討違いなんだけども)。

    そういう人って、いると思います。
    その人が悪いんじゃなくて、気づいていないだけだと思います。ソフトは、自分の経験してきたこと全てが作るものなので、その経験を勉強や実験で積めばいいというのが、kさんがライブチャットの記事でいい続けていることなのだと思います。

    ソフトが大事だからこそ、自分の見た目にこだわらないでください、環境が整わないことを言い訳にしないでください、と言うのかなと思います。

    もっと言えば、今の日本で行き詰まりを感じたり、伸び悩んだり、環境が整わずになにかを妨げられていると思う人が多い傾向も、ソフトとハードに原因があるのかもと思います。ハード(新制度)だけ整えても、ソフト(人々の意識変化)が伴わなければ、上手くいかないのだと思います。

    • あいこ
    • 2017年 7月 30日

    箱物行政、なんて言葉もあります。
    無論、いい意味ではありません。今はもう社会の流れそのものが、ソフト重視ってことですよね?
    ソフトを極めないものは残れない社会に……なってますよね?

    ハードは必要なものだけど、お金がかかる。一朝一夕にできるものでなかったりする。なにより、その時はよくても10年後、20年後に維持費だけ高いお荷物になる可能性もある。

    その点、ソフトは融通がきく。
    時代に合わせて小回りがきく。
    そんなイメージを持っています。
    一番いいのは、両面から充実させることなのでしょうけどね。イメージとしては、ソフト面から日々工夫を凝らし、ハード面は長い目でみて整える、という感じです。

    • あいこ
    • 2017年 11月 05日

    読み直して思ったのが、ハードは結果、ソフトは過程というイメージです。

    最近思うことと繋がりました。
    ハードは本来色々なソフトが組合わさった結果現れたものに過ぎないはずなんですよね。

    だからこそ、ハードだけ重視しているとおかしなことが起きる。皆、ハードがないから達成できないと思っている。しかし、それは本来は逆である。

    Kさんが言いたいのはそういうことかな??

    例えば行政ひとつとっても、一昔前はあらゆる面で「まずはハードから整えよう」「とりあえずハードを整えてみる」というところから始まったのかな?
    ある意味、ハードさえ整っていれば、見てくれが機能してる感じならまずは合格。そんな感じ。

    その結果、ハードだけ見て足りないと言い出す人たちが出てくる。もっとハードにあれこれ追加してくださいとか、あのハードがないからこれができないんだ!なんとかしろ!とか。

    つまりそこにあるのは、「ハードが整っていなければできない」という、ハード頼みの思考?他力本願?
    だけど本来は、人々が豊かに、それなりに幸せや納得感を得ながら日々暮らすことが政治や行政の目的なのでは?

    つまり、ハードというのは後付けに過ぎず、まずはソフト……つまり人々の内面?が充実していることが大事なのかなと。ソフトに基づいてハードが設計されている。

    それなら、そのソフトの部分を深く理解せずしてハードだけ整えても本末転倒ということになる。
    どうしてこの形に落ちついたのか、そこに至るまでの目に見えない過程(=ソフト)を重視すると、色々なものの見えかたが変わる気がする。

    例えば、あるきれいなモデルや女優を見て憧れたとする。そして、彼女のようになりたいなと思い、今の自分の容姿と比べてしまい、卑下してしまう。
    これは、典型的なハード重視の思考だと思う。あるいは容姿だけでなくても、他人にあって自分にないものを欲しがったり、友人の生き方を羨んだりすること。

    これらもすべて、ハード重視の思考だと思う。
    それよりも、なぜ私は彼女らを羨ましく思うのか?その理由を考える方がいいと思う。それがソフト重視の思考だと思う。
    今のは、目に見えないソフトの部分で私が見聞きしてきたこと、体験してきたこと、環境……などでできあがっている。そこにヒントがあると思う。

    • あいこ
    • 2017年 11月 05日

    て、訂正です(笑)

    今のは→今の私は

    • あいこ
    • 2017年 11月 05日

    続きを垂れ流します(笑)

    ソフト重視の思考は、人物や国、文化の潜在能力を開化させることや、深みを作ることに役立つと思う。

    これはもう、土着のものかそうでないかの違いが大きいので良し悪しをつけることではないのかもしれないけど、私が気になることのひとつに日本におけるクラシック音楽の位置づけというものがある。

    プロでもその世界に詳しい人でも何でもないんだけど、精神文化には根付いてないんだろうなと感じる。
    それこそハードだけなぞって満足してるんだろうなと感じることがある。

    とても分かりやすいのがコンサート。
    日本は商売をしやすい国だと聞いたことがある。
    それは、どんなに高くても聴衆はお金を払って聴きに来てくれるからだ、と。
    そして演奏の質はどうあれ、最後まで席について聴いてくれる、そして拍手してくれることが多い。だけどクラシック音楽の生地ヨーロッパではそんなことはない。
    いいものには惜しみ無くお金と賛辞を与えるけど、その評価も厳しいときいた。ある人が聴きに行ったコンサートでは、少し聴いただけでこれはダメだとわかると、観客たちは容赦なく途中退席していったらしい。終わったあともほぼ拍手なし。こうまで違いが出るのか、と驚いたらしい。

    思えば……スポーツの世界でも同じなのかもしれない。私は全くスポーツ観戦をしないのでわからんのですが(笑)、スポーツ観戦がすごく好きな人に聞いた話です。
    いやー日本の何がダメかって、どんな試合でも応援しちゃうことだよね、と。どういうこと?と聞くと、外国のサポーターはすごく熱心で年パス買って応援するくらいらしい。その代わり野次もすごいんだ、と。
    へぇー、単にマナーの違いじゃないの?と聞くと、そうじゃない、本気でそのチームと一体化して心から応援してるから、それに応えられないふがいない試合しか出来ないときは、相応の評価をくだしてるんだ!だから野次も飛ばすし、途中退席だってするんだ……と。

    ……なるほど、面白い話です。
    もしかしたら、「謙虚で慎ましい日本人像」はある意味で正しく、ある意味では間違ってるのかもしれない?

    この2つのエピソードから私が読み取ったことは、
    「見てくれだけ整えてできた気になって、満足している現代日本人像」です。
    つまり、精神文化(=ソフト)と、日常空間にある文化(=ハード)が繋がっておらず、ある意味他人事なんです。

    心から理解していないもの、心から自然に溢れてくるものがなければそれに熱中することは難しいです。
    音楽もスポーツも、文学も絵画も、人間の心から自然に溢れてきたものが自然に形になってきたのではないかと思っています。それは私たちの「血」と繋がっています。だから熱くなれる。
    過程を理解せずに外見だけをきれいにパックしてみても、真の豊かさは得られないのではないかと思います。

    完全に偏見ですので、全ての人がこうだと言いたいんじゃありませんよ(^_^;)
    むしろ、最近はそれに気づいて、ソフトを深める方向に舵を切っている人たちが現れていると思います。だから10年後、20年後はきっと変わっているんじゃないでしょうか。

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